ほの猫 3
ほのぼのタッチの猫イラストと猫絵&猫写真♪

プロフィール
ほの猫3へようこそ。
猫をテーマに描いています。
画材は主にパステルです。
見る人が思わず笑顔になれる。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
そんな猫絵を書き続けていきたいと思っています。
♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
猫をテーマに描いています。
画材は主にパステルです。
見る人が思わず笑顔になれる。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
そんな猫絵を書き続けていきたいと思っています。
♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
「まる」 天寿を全う 幸せ色のシャボン玉に包まれ静かに旅立つ
「まる」 天寿を全う 幸せ色のシャボン玉に包まれ静かに旅立つ
2月23日22時23分-苦しそうな息ひとつするわけでもなく、とても静かに安らかに、
私の膝の上で、まるちゃんの小さな心臓が最後の鼓動を打ち終えた。

うちに来て13年と9カ月。私の人生に大きな変化と限りない喜びを与えてくれた
まるちゃんが、天寿を全うし、静かに天に登って行った

まるちゃんの調子が悪いからと、友達に伝えると、夜9時半にお別れに来てくれた
息を止める10分くらい前の写真


この時のまるちゃん、みんなに順番に抱っこされ目をキラキラさせて
とても喜んでいた。幸せなお別れだった

10時15分、みんなが帰った。
気が付かないくらい静かに、まるは17年の猫生を終えた。

次の日から何人か友達が、お別れに来てくれた



まるで眠っているよう
抱っこしてくれてありがとう。(まるより)

死の意味は理解できないけれど、動かない「まる」に寄り添う「ちい」
まるが旅立って、あっという間に二週間が経った。
「元気出してね。大丈夫?」と恐る恐る声をかけてくれる友達の優しさに感謝するも、
心の中の悲しさ、寂しさは、私を苦しめるほどではない。それより、…なんだろう?
もっと大きなものが心の中を占めている。

何年前だったかな。。。?
…まるちゃんとの深い絆の確かさ…かな?
背中の丸模様と短い尻尾
正直、まるちゃんが居なくなったらどんなに辛いことだろう、と
生前、考えるだけでゾッとしていた。
が、今、辛さの代わりにあるのは
困難を乗り越え天寿を全うしたまるに対する誇りと、
二人三脚(二人五脚)でやってきたという満足感だと思う。


今年の1月
14年前の5月23日
車に轢かれ、アスファルトの上に薄汚れたボロ雑巾のように横たわっていた
ノラ猫の目の上には、人間による虐待の痕跡まで残っていた。
可哀想なノラ猫は、まるちゃんという名前で新しい生活を始めた


うちに来て2年後の5月23日、
人間不振の元ノラ猫まるちゃんが、だんだん人間の私に心を許していく様子を
面白おかしく綴ったエッセイの原稿を書き上げ、タイトルほのぼの猫生活を初出版。

沢山の人に優しさと笑顔を届けていった。
原稿仕上がりの5月23日と、
まるちゃんのうちに来た日が同じ5月23日だったことは、
この本の後書きに書いてある。

その後、ノラ時代には想像もできなかったほど可愛くなったまるちゃんは、
次々と猫絵、猫グッズのモデルになっていく。


まる&ちいモデルのウエルカムボード


クレヨンで描いた、ふすま絵







2018年12月、まるちゃんが主人公の小説「猫に生まれてよかった」が、誕生した。

_convert_20190316213530.jpg)
まるちゃん、が亡くなる3日前のこと
週2回通っていた治療院で、広島からの患者さん(人間)に会い(初めて会った人だけど)、
「この猫ちゃんが本の主人公のまるちゃんね、会えて嬉しい‼️」と、
握手を求められ、頭を撫でなでされたまるちゃんは、
目をキラキラさせて喜んでいた。

亡くなった後、何人かにラインで伝えると、
「まるちゃん、私達に元気をくれてありがとう」と、いうメッセージが
実際にまるちゃんに会ったことはない人達からも沢山届いた。
まるちゃんは、本の中で永遠に生き続けていくと思えば、
寂しさより満足感が大きい。

ところで、一番辛いのは、ちいちゃん。
赤ちゃんの時から家にいて、14年近くまるちゃんと過ごしてきた
ちいちゃんにとっては、初めての試練に違いない。

人間と違い、死の意味が理解できる訳もなく、
1日も早くまるちゃんのことを、忘れ去ってもらうしかない。

大丈夫。大親友のまるちゃん、ちいちゃんの固い絆は、
本の中で永遠に生き続けているからね。


ちい、赤ちゃんのとき
とにかく今は寂しさと戦っているちいちゃんに
できるだけ寄り添い、支えてやことしかない。

13年間、いつもピッタリくっついて暮らしていた
ところで、23という数字が、
いつもまるちゃんの周りに登場している。
先に書いたように、うちに来たのが、5月23日。
そして、息を止めたのが、2月23日の22時23分
そこで、お葬式は2時30分に申し込みをした。
当日、火葬のために体重を計ったら、なんと、
デジタル体重計の数字が、
2、3キロを表示した。
すごい‼️まる、23よね。
と、3月に予定していて作品展のタイトルを「まる23」にして、案内ハガキを作った。

と、いっても、コロナウィルスの影響で中止かも…と、思っていたので、
案内ハガキは二枚ほどの試し印刷にとどめていた。
少し経って、やっぱり中止。
それだけでなく、準備していたチャリティーコンサートも延期。

1日も早い終息と治療薬を願うばかり。

では、これを読んでくださってる方に、
まるちゃんからのメッセージです。
「愛猫、愛犬が、たとえどんな状況で死の瞬間を迎えようと、
それまで人間に愛され、一緒に過ごした幸せな長い長い年月こそが、
その猫、その犬の、この世で命いっぱい経験した喜びであり、
幸せな猫世、犬生の全てだと思う」

では最後に、まるちゃんの逆転人生を簡単に。。

交通事故で脚の骨が砕けていたけれど、なんとか走れるまで回復
2年前ガンになったけど、手術なしで回復。
糖尿病で八年間インシュリン注射を打っていたけど、今年になって糖尿病も治った。
インシュリン注射が効きすぎて、低血糖起こし、虹の橋を渡りかけたが
奇跡的にUターンして戻ってきてくれた。
保護した時からエイズキャリアだったけど、発症することなく天寿を全う。


もうひとつ、これは一生回復は無理と思っていたけど、
激しい人間不信と人間嫌い(例外は私だけで、誰にも近寄ろうとしなかった)
それが、人間から温かい言葉をかけられることが増えると、
まるちゃんの態度も変わってきて、最後には、人間不信という心の病までも
すっかり回復していた
いつもの治療院で「どこも悪くないです。悲しいけど、寿命って限りがあるんですよ」
と言われたその夜、まるちゃんは静かに旅立っていった。

愛され、受け入れられ、大切に育まれ、命いっぱい生ききったという満足感と、
自分の役割を果たし終えたという達成感と、
命の終わりを受け入れ、静かに旅立とうとする安心感とに包まれて。

私はまるちゃんの残していったものを、もっともっと沢山の人達の
笑顔のために役立てたいと思っている。それが、
沢山の猫たちのためにもなることだから。

最後に、6年くらい前に作った、まるちゃんへの詩を披露して
今日のブログを終わることにする。

~まるちゃんの奏でる音~
まるちゃんの、真っ白いふかふかのお腹に、
そっと耳をあててみる。ぐりぐるぐりぐる…
さっき食べたご飯が通過中
ゆっくりと上に移動してみる トクトクトク
命を刻む 確かな鼓動
もう少し上に進んでむる スースースー…
あなたの中の 命の音が聞こえる

まるちゃん、楽しかったね。
ありがとね。

ほの猫3:猫絵のギャラリー
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私の膝の上で、まるちゃんの小さな心臓が最後の鼓動を打ち終えた。

うちに来て13年と9カ月。私の人生に大きな変化と限りない喜びを与えてくれた
まるちゃんが、天寿を全うし、静かに天に登って行った

まるちゃんの調子が悪いからと、友達に伝えると、夜9時半にお別れに来てくれた
息を止める10分くらい前の写真



この時のまるちゃん、みんなに順番に抱っこされ目をキラキラさせて
とても喜んでいた。幸せなお別れだった

10時15分、みんなが帰った。
気が付かないくらい静かに、まるは17年の猫生を終えた。

次の日から何人か友達が、お別れに来てくれた



まるで眠っているよう



まるが旅立って、あっという間に二週間が経った。
「元気出してね。大丈夫?」と恐る恐る声をかけてくれる友達の優しさに感謝するも、
心の中の悲しさ、寂しさは、私を苦しめるほどではない。それより、…なんだろう?
もっと大きなものが心の中を占めている。

何年前だったかな。。。?

…まるちゃんとの深い絆の確かさ…かな?

正直、まるちゃんが居なくなったらどんなに辛いことだろう、と
生前、考えるだけでゾッとしていた。
が、今、辛さの代わりにあるのは
困難を乗り越え天寿を全うしたまるに対する誇りと、
二人三脚(二人五脚)でやってきたという満足感だと思う。


今年の1月

14年前の5月23日
車に轢かれ、アスファルトの上に薄汚れたボロ雑巾のように横たわっていた
ノラ猫の目の上には、人間による虐待の痕跡まで残っていた。
可哀想なノラ猫は、まるちゃんという名前で新しい生活を始めた


うちに来て2年後の5月23日、
人間不振の元ノラ猫まるちゃんが、だんだん人間の私に心を許していく様子を
面白おかしく綴ったエッセイの原稿を書き上げ、タイトルほのぼの猫生活を初出版。

沢山の人に優しさと笑顔を届けていった。
原稿仕上がりの5月23日と、
まるちゃんのうちに来た日が同じ5月23日だったことは、
この本の後書きに書いてある。

その後、ノラ時代には想像もできなかったほど可愛くなったまるちゃんは、
次々と猫絵、猫グッズのモデルになっていく。


まる&ちいモデルのウエルカムボード



クレヨンで描いた、ふすま絵








2018年12月、まるちゃんが主人公の小説「猫に生まれてよかった」が、誕生した。

_convert_20190316213530.jpg)
まるちゃん、が亡くなる3日前のこと
週2回通っていた治療院で、広島からの患者さん(人間)に会い(初めて会った人だけど)、
「この猫ちゃんが本の主人公のまるちゃんね、会えて嬉しい‼️」と、
握手を求められ、頭を撫でなでされたまるちゃんは、
目をキラキラさせて喜んでいた。

亡くなった後、何人かにラインで伝えると、
「まるちゃん、私達に元気をくれてありがとう」と、いうメッセージが
実際にまるちゃんに会ったことはない人達からも沢山届いた。
まるちゃんは、本の中で永遠に生き続けていくと思えば、
寂しさより満足感が大きい。

ところで、一番辛いのは、ちいちゃん。
赤ちゃんの時から家にいて、14年近くまるちゃんと過ごしてきた
ちいちゃんにとっては、初めての試練に違いない。

人間と違い、死の意味が理解できる訳もなく、
1日も早くまるちゃんのことを、忘れ去ってもらうしかない。

大丈夫。大親友のまるちゃん、ちいちゃんの固い絆は、
本の中で永遠に生き続けているからね。



ちい、赤ちゃんのとき

とにかく今は寂しさと戦っているちいちゃんに
できるだけ寄り添い、支えてやことしかない。

13年間、いつもピッタリくっついて暮らしていた

ところで、23という数字が、
いつもまるちゃんの周りに登場している。
先に書いたように、うちに来たのが、5月23日。
そして、息を止めたのが、2月23日の22時23分
そこで、お葬式は2時30分に申し込みをした。
当日、火葬のために体重を計ったら、なんと、
デジタル体重計の数字が、
2、3キロを表示した。
すごい‼️まる、23よね。
と、3月に予定していて作品展のタイトルを「まる23」にして、案内ハガキを作った。

と、いっても、コロナウィルスの影響で中止かも…と、思っていたので、
案内ハガキは二枚ほどの試し印刷にとどめていた。
少し経って、やっぱり中止。
それだけでなく、準備していたチャリティーコンサートも延期。

1日も早い終息と治療薬を願うばかり。

では、これを読んでくださってる方に、
まるちゃんからのメッセージです。
「愛猫、愛犬が、たとえどんな状況で死の瞬間を迎えようと、
それまで人間に愛され、一緒に過ごした幸せな長い長い年月こそが、
その猫、その犬の、この世で命いっぱい経験した喜びであり、
幸せな猫世、犬生の全てだと思う」

では最後に、まるちゃんの逆転人生を簡単に。。


交通事故で脚の骨が砕けていたけれど、なんとか走れるまで回復

2年前ガンになったけど、手術なしで回復。

糖尿病で八年間インシュリン注射を打っていたけど、今年になって糖尿病も治った。

インシュリン注射が効きすぎて、低血糖起こし、虹の橋を渡りかけたが
奇跡的にUターンして戻ってきてくれた。

保護した時からエイズキャリアだったけど、発症することなく天寿を全う。



もうひとつ、これは一生回復は無理と思っていたけど、
激しい人間不信と人間嫌い(例外は私だけで、誰にも近寄ろうとしなかった)
それが、人間から温かい言葉をかけられることが増えると、
まるちゃんの態度も変わってきて、最後には、人間不信という心の病までも
すっかり回復していた

いつもの治療院で「どこも悪くないです。悲しいけど、寿命って限りがあるんですよ」
と言われたその夜、まるちゃんは静かに旅立っていった。

愛され、受け入れられ、大切に育まれ、命いっぱい生ききったという満足感と、
自分の役割を果たし終えたという達成感と、
命の終わりを受け入れ、静かに旅立とうとする安心感とに包まれて。

私はまるちゃんの残していったものを、もっともっと沢山の人達の
笑顔のために役立てたいと思っている。それが、
沢山の猫たちのためにもなることだから。

最後に、6年くらい前に作った、まるちゃんへの詩を披露して
今日のブログを終わることにする。

~まるちゃんの奏でる音~
まるちゃんの、真っ白いふかふかのお腹に、
そっと耳をあててみる。ぐりぐるぐりぐる…
さっき食べたご飯が通過中
ゆっくりと上に移動してみる トクトクトク
命を刻む 確かな鼓動
もう少し上に進んでむる スースースー…
あなたの中の 命の音が聞こえる

まるちゃん、楽しかったね。
ありがとね。



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『猫に生まれてよかった』 船出から3ヶ月~♪~
『猫に生まれてよかった』 船出から3ヶ月~♪~
『猫に生まれてよかった』 昨年12月の船出から3ヶ月が経った

ゆっくりだけど着実に進んでいる
引き込まれるように読み終えました。笑えました。最後は号泣。などなど。。
有り難い感想を、たくさんの方からいただいている

主人公のまると、主人公の親友役のちい
よくここまで、猫の気持ちを描写されましたね、と言うプロの作家さんからの言葉に、
猫になりきって原稿に向かった年月が懐かしく思いだされる。
_convert_20190316213530.jpg)
1月2月は、中国新聞のランキングで、1位をもらった。
この本が、できるだけたくさんの人たちの心を温め、優しい気持ちをつないでいって欲しいと
主人公のまるちゃん達、心から願っている。

春の風と遊ぶ ~人間と猫シリーズ~
さて、毎年1月2月に行われる恒例行事
”コーラスフェスティバルのピアノ伴奏”が、なんとか終わってくれた。
大きなホールでの伴奏は、正直、なかなか楽しむところまでには至ってないが、
これがヘッチャラになって楽しい、まで行けることが、私の目標だ。
で、その後のチャリティコンサート♪

こちらはうって変わって、いつものトークで会場を笑わせながら、

楽しく仲間とノリノリの演奏。

こっちの方が楽だわ~と、いつも思う。

皆さんからの募金で、もの言わぬ小さな命が少しでも多く救えたら
と心から願っている。
このコンサートを影で支えてくれた会長、副会長、

そしてスタッフの皆さんに、心から感謝!
実は、コンサートの前に、
会場の入り口でプードルをつれたおじさんが行ったり来たりしているのを見つけた。

『ワンちゃん可愛いですね』と声をかけると
ここでコンサートの宣伝をしているとのこと。
尾道駅前で、目立つプードルつれていたら、声かけてくる人は多いだろう。
私たちが気持ち良く演奏できたのは、
たくさんの」スタッフの人たちの支えがあってのことだと、
ありがとうの気持ちでいっぱいになった。

己進みて人の輪あり
絆深くて誇りとす。
ある人から送られた言葉だけど、
まさしくその通りだと、実感した。
ところで、今年になって防音室を作り
ピアノだけの部屋にした。

床には防音シート、防音畳(琉球畳)を敷き、その上にオーダーで
ピアノ架台を置き、その上にピアノを置いた。

この部屋が完成するまで、本当にたくさんの人たちに助けてもらったこと、
心から、感謝してます!
この部屋でピアノを弾いていると、
まるちゃんが ニャンニャンと鳴いて『遊ぼう遊ぼう!』
と誘いに来ないので、集中できて良い
猫パンチごっこをて、遊びたいまる


てつ君紹介

てつ君は、耳カットしてあるのでわかるように、
ノラ猫でずっと生きていく予定だった。
が、何が幸いするか判らない。
あるとき大けがをして、ペットマナープロジェクト尾道に保護され、
手の手術。。エイズももっているし、このまま外に返すのは忍びない。。
ということで、わが家の猫になった。
まるちゃんもそうだったけど、このてつ君、ノラ時代はガリガリだったけど、今では
立派なデブ猫だ

幸せ太りと言われている。

ほの猫3:猫絵のギャラリー
へは 猫の背中をクリックしてお入りください。

ゆっくりだけど着実に進んでいる
引き込まれるように読み終えました。笑えました。最後は号泣。などなど。。
有り難い感想を、たくさんの方からいただいている


よくここまで、猫の気持ちを描写されましたね、と言うプロの作家さんからの言葉に、
猫になりきって原稿に向かった年月が懐かしく思いだされる。
_convert_20190316213530.jpg)

この本が、できるだけたくさんの人たちの心を温め、優しい気持ちをつないでいって欲しいと
主人公のまるちゃん達、心から願っている。


さて、毎年1月2月に行われる恒例行事
”コーラスフェスティバルのピアノ伴奏”が、なんとか終わってくれた。
大きなホールでの伴奏は、正直、なかなか楽しむところまでには至ってないが、
これがヘッチャラになって楽しい、まで行けることが、私の目標だ。
で、その後のチャリティコンサート♪

こちらはうって変わって、いつものトークで会場を笑わせながら、

楽しく仲間とノリノリの演奏。

こっちの方が楽だわ~と、いつも思う。

皆さんからの募金で、もの言わぬ小さな命が少しでも多く救えたら
と心から願っている。
このコンサートを影で支えてくれた会長、副会長、

そしてスタッフの皆さんに、心から感謝!
実は、コンサートの前に、
会場の入り口でプードルをつれたおじさんが行ったり来たりしているのを見つけた。

『ワンちゃん可愛いですね』と声をかけると
ここでコンサートの宣伝をしているとのこと。
尾道駅前で、目立つプードルつれていたら、声かけてくる人は多いだろう。
私たちが気持ち良く演奏できたのは、
たくさんの」スタッフの人たちの支えがあってのことだと、
ありがとうの気持ちでいっぱいになった。

己進みて人の輪あり
絆深くて誇りとす。
ある人から送られた言葉だけど、
まさしくその通りだと、実感した。
ところで、今年になって防音室を作り
ピアノだけの部屋にした。

床には防音シート、防音畳(琉球畳)を敷き、その上にオーダーで
ピアノ架台を置き、その上にピアノを置いた。

この部屋が完成するまで、本当にたくさんの人たちに助けてもらったこと、
心から、感謝してます!
この部屋でピアノを弾いていると、
まるちゃんが ニャンニャンと鳴いて『遊ぼう遊ぼう!』
と誘いに来ないので、集中できて良い





てつ君は、耳カットしてあるのでわかるように、
ノラ猫でずっと生きていく予定だった。
が、何が幸いするか判らない。
あるとき大けがをして、ペットマナープロジェクト尾道に保護され、
手の手術。。エイズももっているし、このまま外に返すのは忍びない。。
ということで、わが家の猫になった。
まるちゃんもそうだったけど、このてつ君、ノラ時代はガリガリだったけど、今では
立派なデブ猫だ


幸せ太りと言われている。



小説【猫に生まれてよかった】12月の出版決定!
小説【猫に生まれてよかった】12月の出版決定!
「山口さんの作品は、激しい部分と穏やかな部分が、うまく絡み合っていて、
全体にリズム感があって、とても良かったです」
8月に出版社を訪ねた時、ベテランの編集者さんからいただいた、
嬉しい言葉だ。

よし君の絵(本当は、もう少し柔らかい色。。)
その言葉に対し、
「音楽なんです。私にとって小説を書くことは、曲を完成させることでした」
なんて、。。。出来過ぎの答えが勝手に口から出ていった。
考えても出てこないような、こんな模範解答。
実際、考えるより前に即答していて、自分で驚いていた。
そして、言った後、ちょっと照れくさくって、
自分で、“よーゆーわ” と、思った。

だけど、そう思う反面、“ああ、そうか!これは音楽だったんだ。”
なんて、自分の言葉に納得。
まるで、答えた自分が、教えられてるようだった。
小説、「猫に生まれてよかった」
10年前から書いていた猫小説、念願かなって出版が決定。
今回は、自費出版ではなくて、出版社から出版してもらいたい。
この、自費出版じゃなくて!というのがポイント。
要するに”費用は全額むこう持ちで!”
の出版を目指して書き始めてから10年目。
念願かなって、ホッとした。
とりあえず1段階クリアで、とても嬉しい。

前回のブログで書いたように、1月10日に仕上がったつもりの
小説原稿だったけど、やはり気になる箇所が次々出てきて、削ったり付け加えたり。。
をいつものように加え、3月終わりに思い残すところなくやっとの了の字を入れた。
さてどこの出版社に送ろうか。。。
世の中には、私のように小説を書いている素人が沢山いるようで、
小説公募と打って検索すれば、ザクザクと出版社の名前が飛び出してくる。

正直、作家になりたいなんて、夢にも思っていない。
〇〇賞が欲しいのではなく、ただ、出版社から出版してもらいたいだけ。
きちんとした出版社から、
“この本は多くの人に喜んでもらえるはずだから、うちから出版します”
と、判断してもらいたいだけ。
そこで目についたのが、文芸社の“1位の1冊だけ、無料で出版!”の公募だった。

要するに、2位以下は全員自費出版の話がくるということ。
よその公募と違い、原稿用紙設定にして印刷かける必要もないし、
あらすじ1000字以内を付けたり、企画書みたいなのを添付する必要もない。
ただワードの文書を、パソコンからワンクリックで送ればよい。非常に簡単!
なにより、文芸社のこの公募は原稿用紙の枚数制限もないし、ジャンルも不問。

こんなに簡単に応募できるんなら、さぞ、応募者も多い事だろう。
ピンからキリまで、玉石混淆。
せめて、ピンに入りたい。
いやいや、本音を言えば、1位がとれなかったら意味がない。

まあ、ダメなら(1位がとれなかったら)よそを当たってみよう、と応募したのが3月の終わり。
5月10日が発表とのことで、それまでは運を天に任せ、予定している作品展2つに集中しようと思った。
*人事を尽くして天命を待つ*私の好きな言葉。
その後、よし君と約束したように、よし君の絵を2枚完成。
4月の“いろどり五人展”には、よし君を登場させた。
染織、日本画、生け花、ステンドグラス、そして私のパステル画

手前の日本画は、花々の絵

ステンドグラス

染織

窓の外には、海が見える素敵なギャラリーだった。

連休は、尾道のエコライフ館で、

向こうに見える島は、向島
そう、この時、あの逃走犯がまだ捕まっていなくて。。
だけど、実は目の前の海を泳いで渡っていて、隠れていたのは、
この作品展会場から、歩いて3分くらいの場所だった。


そうこうしているうち、文芸社の結果発表の日が近づいてきた。
締め切りの5月10日さえ過ぎれば、1位の可能性は出てくるはず!
と、この時100%信じていた。
実は3月にネットから応募した時、文芸社の“応募受付けました”
の自動配信メールに、
“結果は1週間から10日のうちにお知らせします”とあった。
つまり、“残念でした。が、折角だから。。うちから出版しませんか?費用はこれこれで。。”
と、自費出版のお誘いがあるんだな、と。。。

だから、5月10日が過ぎるまで文芸社からの電話がないことを、心の底から祈っていた。

5月9日、例のauの呼び出し音の後、着信画面に文芸社の字が。。。
残念! 最後まで残っていたのに、最終の会議か何かで、落とされたんだ!
これから、自費出版の話をされるんだろうな。
だけど、とにかく笑顔で応えよう。
とりあえず、最後のへんまでは、落とされずに残っていたんだから。
と、思い切りガッカリしている自分を奮い立たせ、
“ありがとうございます。
でも、今回は、見積りだけをいただいておいて、
またお世話になるようだったら、こちらから連絡いたします”
と言うことにして、覚悟を決めて電話に出た。

“山口さん、本当に残念なんですが、最終会議で2位になってしまいました。
で、折角なんで、自費出版では。。“
と言われると本気で思っていたら
、
“おめでとうございます!
「猫に生まれてよかった」1位決定です。うちから出版いたします。
今、会議で決まりました”
と言われた。

今年3月に仕上げ、5月に出版が決まり、8月に出版社を訪ね、12月に発売される。
関係ないけど、私の車のナンバーは、358
12は、1年が12月だったり、十二支があったり、十二指腸は別にして。。
なんだか12って次の段階に上がるための節目のような数字なので、
ありがたい数字のような気がする。
ありがたいと言えば、
私の原稿を本にしてくれる文芸社にも、ずっと応援をしてくれている友達にも、
心を込めてありがとう
を言いたい。
原稿用紙で357枚の原稿が,
約270ページの本に生まれ変わる
。
出来るだけ多くの人達に、笑って笑って、ちょっとホロっとなりながら、
うんと楽しんで読んでもらいたい。

ほの猫3:猫絵のギャラリー
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全体にリズム感があって、とても良かったです」
8月に出版社を訪ねた時、ベテランの編集者さんからいただいた、
嬉しい言葉だ。

よし君の絵(本当は、もう少し柔らかい色。。)
その言葉に対し、
「音楽なんです。私にとって小説を書くことは、曲を完成させることでした」
なんて、。。。出来過ぎの答えが勝手に口から出ていった。
考えても出てこないような、こんな模範解答。
実際、考えるより前に即答していて、自分で驚いていた。
そして、言った後、ちょっと照れくさくって、
自分で、“よーゆーわ” と、思った。

だけど、そう思う反面、“ああ、そうか!これは音楽だったんだ。”
なんて、自分の言葉に納得。
まるで、答えた自分が、教えられてるようだった。
小説、「猫に生まれてよかった」
10年前から書いていた猫小説、念願かなって出版が決定。
今回は、自費出版ではなくて、出版社から出版してもらいたい。
この、自費出版じゃなくて!というのがポイント。
要するに”費用は全額むこう持ちで!”
の出版を目指して書き始めてから10年目。
念願かなって、ホッとした。
とりあえず1段階クリアで、とても嬉しい。

前回のブログで書いたように、1月10日に仕上がったつもりの
小説原稿だったけど、やはり気になる箇所が次々出てきて、削ったり付け加えたり。。
をいつものように加え、3月終わりに思い残すところなくやっとの了の字を入れた。
さてどこの出版社に送ろうか。。。
世の中には、私のように小説を書いている素人が沢山いるようで、
小説公募と打って検索すれば、ザクザクと出版社の名前が飛び出してくる。

正直、作家になりたいなんて、夢にも思っていない。
〇〇賞が欲しいのではなく、ただ、出版社から出版してもらいたいだけ。
きちんとした出版社から、
“この本は多くの人に喜んでもらえるはずだから、うちから出版します”
と、判断してもらいたいだけ。
そこで目についたのが、文芸社の“1位の1冊だけ、無料で出版!”の公募だった。

要するに、2位以下は全員自費出版の話がくるということ。
よその公募と違い、原稿用紙設定にして印刷かける必要もないし、
あらすじ1000字以内を付けたり、企画書みたいなのを添付する必要もない。
ただワードの文書を、パソコンからワンクリックで送ればよい。非常に簡単!
なにより、文芸社のこの公募は原稿用紙の枚数制限もないし、ジャンルも不問。

こんなに簡単に応募できるんなら、さぞ、応募者も多い事だろう。
ピンからキリまで、玉石混淆。
せめて、ピンに入りたい。
いやいや、本音を言えば、1位がとれなかったら意味がない。

まあ、ダメなら(1位がとれなかったら)よそを当たってみよう、と応募したのが3月の終わり。
5月10日が発表とのことで、それまでは運を天に任せ、予定している作品展2つに集中しようと思った。
*人事を尽くして天命を待つ*私の好きな言葉。
その後、よし君と約束したように、よし君の絵を2枚完成。
4月の“いろどり五人展”には、よし君を登場させた。
染織、日本画、生け花、ステンドグラス、そして私のパステル画

手前の日本画は、花々の絵

ステンドグラス

染織

窓の外には、海が見える素敵なギャラリーだった。

連休は、尾道のエコライフ館で、

向こうに見える島は、向島
そう、この時、あの逃走犯がまだ捕まっていなくて。。
だけど、実は目の前の海を泳いで渡っていて、隠れていたのは、
この作品展会場から、歩いて3分くらいの場所だった。


そうこうしているうち、文芸社の結果発表の日が近づいてきた。
締め切りの5月10日さえ過ぎれば、1位の可能性は出てくるはず!
と、この時100%信じていた。
実は3月にネットから応募した時、文芸社の“応募受付けました”
の自動配信メールに、
“結果は1週間から10日のうちにお知らせします”とあった。
つまり、“残念でした。が、折角だから。。うちから出版しませんか?費用はこれこれで。。”
と、自費出版のお誘いがあるんだな、と。。。

だから、5月10日が過ぎるまで文芸社からの電話がないことを、心の底から祈っていた。

5月9日、例のauの呼び出し音の後、着信画面に文芸社の字が。。。
残念! 最後まで残っていたのに、最終の会議か何かで、落とされたんだ!
これから、自費出版の話をされるんだろうな。
だけど、とにかく笑顔で応えよう。
とりあえず、最後のへんまでは、落とされずに残っていたんだから。
と、思い切りガッカリしている自分を奮い立たせ、
“ありがとうございます。
でも、今回は、見積りだけをいただいておいて、
またお世話になるようだったら、こちらから連絡いたします”
と言うことにして、覚悟を決めて電話に出た。

“山口さん、本当に残念なんですが、最終会議で2位になってしまいました。
で、折角なんで、自費出版では。。“
と言われると本気で思っていたら
、
“おめでとうございます!
「猫に生まれてよかった」1位決定です。うちから出版いたします。
今、会議で決まりました”
と言われた。

今年3月に仕上げ、5月に出版が決まり、8月に出版社を訪ね、12月に発売される。
関係ないけど、私の車のナンバーは、358
12は、1年が12月だったり、十二支があったり、十二指腸は別にして。。
なんだか12って次の段階に上がるための節目のような数字なので、
ありがたい数字のような気がする。
ありがたいと言えば、
私の原稿を本にしてくれる文芸社にも、ずっと応援をしてくれている友達にも、
心を込めてありがとう
を言いたい。
原稿用紙で357枚の原稿が,
約270ページの本に生まれ変わる


出来るだけ多くの人達に、笑って笑って、ちょっとホロっとなりながら、
うんと楽しんで読んでもらいたい。



よし君、幸せ色のシャボン玉に包まれて旅立つ
よし君、幸せ色のシャボン玉に包まれて旅立つ

もぞっと動いた毛布の膨らみが、のろのろと僕の方に顔を向けた。
目が合った。
ーおじさん、やっぱりあの時のおじさんだ。
その瞬間、僕は意外なものを見たような気がして驚いた。
今、目の前で息絶えようとしているおじさんの目は、優しい光りで輝いている。
少なくとも、僕にはそう思えた。ーキラキラと輝く目……。
初めは悲しみの涙に潤んでいるのかと思った。
が、それは違うと思った。
それは幸せの輝きだと確信した。
この世に生を受けた瞬間から、愛され、受け入れられ、大切に育まれ
命いっぱい生ききったという満足感。
自分の役割を果たし終えたという達成感。
命の終わりを受け入れ、静かに旅立とうとする者の安らぎと安心感。
僕は、胸がいっぱいになった。
ーおじさん、僕は、祝福を送るべきなんだね。
実はこれ、今年の1月10日に完成させた小説「猫に生まれて良かった」の、原稿からの抜粋。
知ってる人は知ってるけど、僕というのは、うちのまるちゃんのこと。


おじさん役は、ゴロちゃんという名前の、私だけが知っている猫。
この原稿を書いていた頃、
“猫が亡くなる時は、こうであって欲しい”
という思いを込めてここの部分を書いていたんだけど。
まさか、書いた通りになるなんて。。

1月10日、偶然にも母の命日

400字の原稿用紙358枚の原稿に完の字を付けた。
我が子のような原稿だ。
その17日後の1月27日、よし君が、ひどく苦しむことなく、
私の腕の中で目を閉じた。
最後の最後に、いつものキラキラ光る目でじっと見てくれたので、
しばらくお互い見つめ合って、その後よし君は静かに目を閉じ、
そのままゆっくりと体温をなくしていった。
時計は、1時半を少し回っていた。

これは、旅立つ3時間くらい前の写真

朝になって、尾道動物霊園、という所に電話し、二日後の火葬の予約をした。
2日後にした理由は、友引だったからでも、火葬場が予約でいっぱいだったからでもなく、
単に私と夫に、“用事があるから”という理由。
その間、よし君には、お花や“ちゅる”を入れた大きな箱の中で、待ってもらった。
ずっと最低気温が氷点下の日が続いていたので、ベランダによし君入りの箱を置いた。
ここなら、二日間よし君をドライアイスで冷やす必要もない。
何より、西側のベランダは、よし君の大好きな場所だった。


27日お昼前、ベランダの箱の中で、カチカチになってるよし君のお腹を撫でてから、笠岡に向かった。
2月11日に、生涯学習フェスティバルというのがあって、女声合唱(ポコ ア ポコ)
が出場するので、その打ち合わせで私も笠岡市民会館に行った。(私の役はピアノ伴奏)



次の日、28日は朝から雪。積もりはしないけれど、この地域にしては、大雪だ。
箱の中のよし君は、ますますヒンヤリカチカチになってたけど、
もう痛くも痒くもなくなっているよし君なので、気楽に
「ほな、行ってくるね」と声をかけて、リーデンの大ホールに向かった。
その日は、福山コーラスフェスティバルというのがあって、
朝から40ものコーラスグループが入れ替わり立ち替わり、
ステージで日頃の成果を披露することになっている。
私たちのグループは、22番目で、午後からだ。
2曲、約8分の演奏だけど、2000人の観客の入る会場での
ピアノ伴奏の責任はとても重大だ。
その日は一日リーデンで過ごし、夜になってよし君がベランダで待つ我が家に帰ってきた。

ところで、ももちゃんはというと。。。

判っているんだかいないんだか。。
相変わらず食べることが大好きな、中年太りの美しいツンデレ猫だ。
2年3ヶ月一緒に暮らしたお友達のよし君がいなくなっても、相変わらずの食欲だし、
「よし君のこと、もう忘れたんかな~」と、こっちの方が寂しくなってくる。
ただ、ももちゃんの名誉のためにつけ加えておくと、
よし君が息を引き取った後、ももちゃんのベッドに行って
「寝てるばあいじゃないよ」と、ももちゃんを起こし、よし君の隣に連れて行ったら、
ももちゃんはよし君の背中の辺りに顔を付けて、
冷たくなったよし君に自分の体をピッタリ付けたまま、しばらく寄り添っていた。
ここでしっかりとお別れをしたみたいだ。

時々、ベタベタしていた。よしもも


で、次の日、1月29日、
朝のうちは夫がNHKの文化教室でイギリス文化の講座をする日だった。
お昼頃夫が帰って来た。
さあ、これからよし君のお葬式だ。


(うちに来た時が2、8キロくらい。この写真の頃は、5,5キロまで太ってた)
よし君を箱に入れて、階段を降りながら、ちょうど3日前、
よし君を病院に連れて行くために、いつものようにシーツにくるんで
この階段同じように降りていったことを思いだした。

呼んだら「あん」と返事をし、
ドアをコンコンと二回ノックしたりして、私たちを大いに楽しませてくれたよし君。
病院行きの車の中ではいつも窓の外の流れていく風景を興味しんしん、
まん丸の目を見開いて眺めていた。
時々信号待ちで止まってたりすると、
学校帰りの生徒たちが車の中のよし君見つけて、
「猫ちゃんカワイイ~!」「きゃーカワイイ~」と手を振ってくれたりするので、
私も助手席から、よし君がしっかり外のその子たちに見えるように高く掲げて、
よし君の手(前足)を振り、その子たちの声援に応えた。
信号待ちの間、よし君は女学生のアイドルだった。
人間が大好きなよし君にとって、このうえない幸せな信号待ちだったと思う。


そんなことを思いだしているうち、霊園の火葬場についた。
ここは、個別葬で、後でお骨拾いもさせてもらえる。
最後にメッセージを書いてください、と私と夫が小さな紙を渡された。
隣の夫の書いたのを、横目でチラッと見たら、
「よし君、ありがとう」と大きな字で書いていたので、
私は「よし君ありがとう。大好きよ」と、一言多く書いた。
その後、よし君の足形を取って渡してもらい、よし君のお骨拾いまでの50分、
時間つぶしのために車で御調の道の駅まで行って、
このあいだ(ためしてガッテン)でやってた“赤味噌”を買ってから、
骨になったよし君の待つ火葬場に帰ってきた。
今、白い骨壺の中にいるよし君は、リビングにいる。

よし君がいないと寂しいね」と、夫が言う。
家での点滴はずっと夫の担当だった。
アニマルウオーターを病院にもらいに行くのも、
たくさんの種類のサプリや薬をもらいに行くのも、
なぜだか夫の担当になっていた。
病院では、いつも夫は”よし君のお父さん”と呼ばれていた。
夫を全然知らない人が聞いても、「ああ、そうですか」だけど
真面目っぽい夫のことを知ってる人が知ったら
『へぇー、そうだったんですか!!』
と、目を丸くするだろう。
2年3か月前、瀕死の状態で抱きついてきて、そのままうちに来たよし君。
短いけど、濃い幸せな時間を一緒に過ごすことができたと思う。


可愛いよし君だけど、トランプのような顔で写ってた

今日は、2月5日、よし君のお葬式から1週間。 初七日だ。
”よし君が居なくなったらどんなに辛いじゃろう。
ペットロスで当分は苦しいかも。。”
なんて、正直心配してたけど、思いのほか、大丈夫な毎日を過している。
それは、間違いなく、よし君が最後にプレゼントしてくれた奇跡のお陰だと、
私は一人で勝手に解釈している。
去年の11月のことがなかったら、もっと辛くて悲しいよし君との別れになっていたに違いない。

この写真、とくに好き

去年の11月、ちょうど前回のブログをアップした後くらい。。
よし君がいきなり力尽きて、いままで頑張ってきた糸が張りすぎて切れてしまったのか、
ほとんど動かなくなった。
目に見えて、ガクッと弱った。
トイレに行くときだけは、よろよろとベッドから出てくるけれど、足をひこずっている。
目にも、力がない。
本当に、ある日いきなり。。だった。
すぐに、病院に連れて行って、点滴をしてもらった。
が、その時、よし君は点滴の針を背中に刺したまま、“もう止めて!!”
と言わんばかりにしがみ付いてきた。


よし君は、病院の診察台の上で激しく
『もうやめて!延命は止めて!』と、大声で意志表示をしてきた。
そんなことは初めてのことだったので、驚いた。
看護婦さんにお願いして点滴を止めてもらう訳にもいかず、
よし君は後ろ足で立ったまま、私の肩に手を回してワーワーと泣きながら点滴を受けた。
すぐに終わるから、ちょっと我慢して。。とよし君の背中を撫でるしかなかった。


いつもだったら、点滴の後は家に帰って少しでも食べられるようになるはずが、
その時は病院から帰っても、よし君に何の変化もなかった。
水に溶かせてスポイドで飲ませていた錠剤も、同じように拒否した。
よし君は、何も食べなくなってしまった。
時々足をひこずりながらのトイレに行き、ついでのように水を飲むだけ。
『無理はさせない。よし君の意志に任せる』
ということで、覚悟するしかないと思った。
ついに、お別れの時が来た、と思うと寂しくてたまらなかった。
それは、去年の11月11日のミニコンサートの1週間くらい前のことだった。


その日から、私の日課に“2,3時間のよし君好き好きタイム”が加わった。
お腹を撫でてもらうのが最高に大好きなよし君は、お腹を撫でられるとすぐに、
後ろ足をカパッと開脚して、もっともっと宜しく~!と、お腹を突き出してくる。
何も食べないで、ガリガリになっているよし君だったけど、
その時もやっぱり体操選手のように開脚して
“撫でて撫でて~お腹撫でて~!”状態だったので、“よし君の歌”を歌いながら、
2,3時間よし君のお腹撫でる毎日が続いた。


、歌というより、ヒップホップのラップに近い。


実は、わが家の猫たちにはそれぞれイメージに合った曲があり、
猫がしんどそうなとき、歌ってあげる。

まあ、猫たちにとっては何の意味もないことだろうけど。




11月のこの作品展の頃、よし君との別れを覚悟しながら、
できるだけ、一緒にいる時間を過ごしたいと、毎日2,3時間、よし君のお腹を撫でていた。
よし君が、一番喜ぶことだったから。

撫でながら、よし君に話しかけた。
『あのね、よし君がうちに来る何年も前から、小説を書いていて、
よし君もちょっとだけ登場しているんだけど。。』


実は、
小説 ”猫に生まれて良かった”の原稿の中で、よし君は、”よしおばさん”として、
ほんのちょこっとだけしか登場していなかった。
よしおばさんが出てくるこのシーンを書いていたのは、2年3か月前。
つまり、よし君がうちに来た頃だ。
あの時のよし君は、衰弱しきっていて、あと2,3日の命だと皆が思っていた。
実際病院でも、腎臓が壊れてしまっているけど、腎臓療養食は勧められなくて、
”なんでも良いから食べられるものを好きなだけ、何でも食べさせてやったら良い”と言われた。
つまり、長生きはできないだろうから、
今生の思い出に美味しいものを好きなだけ。。ということだった。
その頃書いていたシーンで、ももちゃんを慰める役として、よし君をよし伯母さんにして登場させた。
ただ、よしおばさんは、すぐにいなくなってしまうノラ猫という設定で、
ものすごく幸せな猫、という訳ではなかった。

「11月11日のミニコンサートが終わって、じっくり小説原稿に向かう時間ができたら、
よし君の役を、よしおばさんから、ももちゃんの弟役に変えるからね。ももちゃんの弟猫は、
人間と暮らしてずっと幸せに長生きする猫だからね」
よし君に約束した。



よし君との約束通り、よしおばさんは、別の名前のおばさんにして、
よし君は、よし君をいう名前で、ずっと幸せな猫の役に変えた。
よし君の長生きを願いながら。。

ところで、
よし君が、全然食べなくなって1週間が過ぎた頃。
いよいよお別れかな。。と思ったら、急に悲しくなってきて、
『よし君が居なくなったら、寂しいよ。悲しいよ」と、
ガリガリになったよし君を撫でながら、よし君の前で思い切り声をあげて泣いた。
よし君は、その時、そんなに泣くんなら、このまま逝ってしまわずに、
もうちょっとこの家に残っててやろうか、と思い直してくれたのかもしれない。


よし君が全く食べ物を受け付けなくなって12日目。
このまま衰弱していくよし君を見るのは 可哀そうすぎる。
もう一度、病院に連れて行って点滴をしてもらう!と、夫が言った。
私は、最後に病院に連れて行って点滴をしてもらった時の、よし君の泣き叫ぶ姿を思い出し、
『病院に連れて行く方が可哀そうよ」と、反対した。
私たちは、まるで、子育ての仕方で意見が食い違う夫婦のように、
よし君の病院行きについて、ああだ、こうだと言って夫婦喧嘩をした

結局夫が、よし君をシーツにくるんで、一人で病院に連れて行った。
なんと、本当にびっくりなことに

よし君は前回病院に行った時とは、打って変わってベ別猫のように
素直におとなしく点滴を受け、家に帰ったら、パクパクご飯を食べ始めた!
良かった!!まだ、生きていてくれる

私は、夫に謝った。そして、連れて行ってくれたことに感謝した。

だけど、前回病院に行った時の、あのよし君の態度。なんだったんだろう。
何が起こったんだろう。
よし君が「もうちょっと生きようか「」と思い、それに反応して奇跡が起こった、と私は解釈している。
12日間、何も食べず、水だけ飲んでいたころ、
よし君は本能的に(?)ものすごい技でもって命を繋いでいた。
1日に1度、なぜかよし君はベランダに出ていって、カラの植木鉢の中に顔を突っ込んでいた。
何をしているんだろう、と後から覗いてみると、植木鉢の底を舐めていたのがわかった。
なんで、鉢の底舐めてるんだろう。汚いじゃない。。と思ったが、よし君の好きなようにさせていた。
後から獣医さんに聞いたら、植木鉢の底に少しだけついていた土を舐めることで、
土の中の栄養分を摂取していた、とのこと。
だから、水だけで何も食べずに12日間、命を繋ぐことができたんだそうだ。
こんな時、体に良いもの食べましょう。
一日何カロリーなんて言ってる人間より、栄養学の知識もなにもない猫が
そんな風に本能的な行動でもって命をつなぐ最低限の栄養を取り込んでいる方が、
賢いというか、すごいなと感心する。


よし君は、生き返ったようにパクパク食べ、体重も500グラム増え、
病院の先生もビックリだった。
もちろん病気が病気だけに、いつまでもつか、という状況には変わりなかった。
そんなこんなで、2018年のお正月は、まる、ちい、もも、よし、の4にゃんこと、
何とか無事に迎えることができた。
そして、冒頭の1月26日、徐々に弱ってきたけれど、
それでも昼間は元気よく爪とぎをしていたよし君が、
日付が変わって1時間半のち、夜中の1時半、
苦しかった闘病生活を終えて、ゆっくりと目を閉じた。


実はよし君、亡くなる2,3日前あたりから、いままでになく食べるのが大変になってきていた。
チュルを水で溶いたのを、1時間くらい時間かけてなんとか舌ですくっていたけど、
飲み込むたびに、ジャリジャリと異様な音が聞こえた。
何の音??
どう考えても、よし君から聞こえてくるその石を砕くような音は、骨が砕けている音だった。
それに、よし君のお腹は、なんだか気持ち悪く膨らんでいて、
もしかして、他の臓器にガンでもできているのでは。。とも思えた。
よし君は、ギリギリのもっと先まで、踏ん張って、生きてくれたんだと思う。

昨日(2月4日)夫が、ふと
『よし君て、相当我慢してたと思う。うちに来た時も、亡くなった時くらい酷い状態だったのに。
よく2年以上生きてくれたよなあ』と、感心したように言った。
毎晩、ご飯の時はよし君のところのロウソクに火を点けて、大好きだった刺身を、よし君のお皿に盛る。
ロウソクの火を点けると、よし君が近くにいるような気がする。
だけど、
「よし君、ちゃっちゃと天国に行きなさいよ!こっちは皆大丈夫だから」と声をかけるようにしている。
よし君が成仏できなくて、うろうろしてたら、その方が可哀そうだからね。
冒頭に書いたように、よし君がキラキラ光る目でじっと見つめて旅立ったあと、
自分の書いた原稿の1場面を思い出した。
そして、そのままよし君にあてはめてみた。
今、目の前で息絶えようとしているよし君の目は、優しい光りで輝いている。
少なくとも、私にはそう思えた。
ーキラキラと輝く目……。
初めは悲しみの涙に潤んでいるのかと思った。
が、それは違うと思った。
それは幸せの輝きだと確信した。
この世に生を受けた瞬間から、愛され、受け入れられ、大切に育まれ
命いっぱい生ききったという満足感。
自分の役割を果たし終えたという達成感。
命の終わりを受け入れ、静かに旅立とうとする者の安らぎと安心感。
私は、胸がいっぱいになった。
ーよし君、私は、祝福を送るべきなんよね。

今、悲しいというより、よし君が応援してくれているから、がんばろーと思う。
追伸:皆さんのご協力で、最高に楽しいミニコンサートになりました。
作品展にも、本当に多くの方に足をはこんでいただき、心より感謝しております。

ありがとうございました。
手伝ってくれた友達にも、ありがとうね!!




10年の感謝を込めて猫絵展&猫ブーム(=^・^=)
10年の感謝を込めて猫絵展&猫ブーム(=^・^=)

中学校の美術の時間以来、絵を描き始めて、約10年。 怖いもの知らず、(恥知らずかも。。)
の私が、作品展なるものを始めてからも、同じように約10年になる。
最初、私の絵があるギャラリーに飾られた時、両親は”恥ずかしいから、行かないよ”と
本気でイヤ~な顔して、困っていた。
私の学生時代の絵を知ってる両親が、見たくない!と思ったのも、無理はないと思う。

その両親が、”思ってたより、良いじゃあない!!”
と、ビックリして元気な時は、何度か見に来てくれていた。
考えてみたら、私がもし、何とか教室の何とか先生について、何とか会に入って、
何とか展に応募したりしていたら、
絶対にこんな無茶なことはしていなかったと思う。
だから、私にとっては、良かったかな~と思う。
で、何より嬉しいのは。。

本当に沢山の人達から、温かい励ましメッセージをもらってきたこと。

アンド、たくさんの素敵な人たちと、ご縁が繋がってきたこと。

卒業していった生徒たちにも、”まだまだ頑張ってるよ

送ることができる。

皆さんに、感謝を込めての作品展の会場は、本通りのumbrellaという喫茶店。
この間、久しぶりに自転車で本通りに行って、明るいのに驚いた。
シャッター商店街と言われ、何となく古いイメージの本通りが、
何だかあか抜けてセンスアップしているには、ビックリ!

で、今回の目玉(?)は、琴とフルートとピアノによる、ミニコンサートを
会期中に会場で開くこと



曲目は、大好きなホテルカリフォルニア、千本桜、サンバのリズムのもみじ、
ジャズのリズムの上を向いて歩こう、それから、本格的邦楽曲(琴とフルート)などなど
あれこれ全10曲を予定している。
明るい店内で、ティータイム音楽会を楽しんでいただけたらと思っている。
フルートの加代子さん、琴の美奈子さん。。お二人とも、子が
つく名前の昭和の女性。。(私もよ)
で、二人に出会ったのは、大人のための音楽会♪
あ、それと、井原の陶芸家、茂谷郁夫さんにも、
パーカッションで盛り上げてもらうようお願いした(10月10日決定)
ちなみに、次回の大人のための音楽会は、来年の春にします!
今年の秋はいろいろ忙しくて。。

ということで、今、来月の作品展準備中。
ところで、タイトルに書いた”猫ブーム”について一言

かつてない猫ブームと、聞きます。
TVでもネットでも、連日愛らしい猫達が次々に登場しては、私たちを
癒してくれています。 ほほえましい限りです。
が、これだけで終わらせてはいけないと思うのは、私だけではないでしょう。
人間中心の社会に生まれ、それぞれの与えられた環境を懸命に生きている
小さな命の 声なき声
その声に耳を傾け、思いを馳せるきっかけになることも、
このブームに託された 大きな役割ではないでしょうか。
歴史をさかのぼれば、日本には弥生時代から猫がいて、
時にはネズミ捕りの名手として、時には愛玩動物として、
猫はいつも人間のそばで暮らしてきたと言われている。
何千年もの時を経て、人間と共存してきたこの小さな仲間たちと、
これからも末永く、幸せな時を重ねていけることを、
心から願っている。

微力ではあっても、猫の絵を通して
この思いを、より多くの人達に発信したいと思う。

最後に、ホントは可愛い よし君の、トランプのような顔

よし君は、ちゅる ばかり食べるけど、
ちゅるは高い。
だけど、口内炎ひどいから、どーぞ、どーぞ。しっかり食べてね、
と、ちゅると、柔らかい刺身ばかりのよし君の食費は、結構高い!
だけど、いつまでもつか、と思ってたよし君が、何とか元気でいてくれることが、
本当に嬉しい。
それと、11年目のまるちゃん、ちっちゃんも、血液検査ばっちり

腎臓サプリと、水素水が効いてるのかな。
あと、美しいデブの、ももちゃん。 も、THE猫という
生き方を貫いていて、素晴らしい~。
みんな元気でお正月を迎えようね! (まだ10月だけど)


